こんな仕事をしているといつも曖昧なことにいつもつきあわなくてはならない。
私が仕事で曖昧という言葉が仕様内に記述があった社会人一年生の時のことを忘れない。
ずばり、曖昧検索機能だ
とこれが想像と全く違った。

要はプログラム内に検索キーの情報を書かなくていいだけだった。
しかし当時はみんな曖昧という言葉に疑問をいだかなかった。
私には何が曖昧なのか分からなかった。
まったくもって、明確な話だったのでなぜ「曖昧」という言葉を使うのかがわからなかったのだ。

ちょっと話が飛ぶが、能楽には一子相伝の伝統らしい。
一子相伝なんて北斗神拳ぐらいしかしらなかったが
それはさておき、その教え方でいいわるいの判断基準は曖昧としかいいようがないらしい。

「でも当人の中には曖昧さなんてまったくないんですよ。」
「他人に説明するとしたら曖昧という言葉しかないそう説明せざる得ないのです。」と言うらしいのです。

このように曖昧ということばをつかっていても単に説明ができないという理由で、つかっているだけだったりします。

また、子供の教育の仕方というのも非常に曖昧といえます。
これはさっきの能楽にも通じるのですが、大抵は当人の中でも曖昧ばかりです。
強いて他人に言える基準といえば怒りを感じるか感じないかだったりします。
それだって、こっちの体調なんかにも関係します。

さて、またちょっと話は飛びますが、学校でのベテラン教員と新米教員には考え方におおきな違いがあるといいます。
新米教員は何を教えるかをきっちり作り、ベテラン教員は何を教えないかをきめるといいます。

この考え方の違いは変化への対応力が違いだと私は思います。
教える事をきめるとは一見正しそうなきもしますが、予定が狂ったときにできる対応は減算思考のやる予定を減らすという事です。

一方ベテランは加算思考です。
というのも基本最低限しかないので、常に予定はすかすかなので、時間の都合がつく限り臨機応変にやるのです。

こう考えると曖昧なことや変化への対応力とは「やらないことの明確さを作る」ことなのではないでしょうか。
やることは何ですか?と言われれば、説明ができず「曖昧です」という言葉になってしまいます。
でも、やらないことは何ですか?と言われれば、まったく不明なものはなかったりします。

仕様書でもやらないこと、対応しないこと、考慮しないことを書くようにかなり昔怒鳴られましたが、それは変化への対応力や曖昧への対応力を訓練させられていたのだなと思うようになりました

「月一億PVまでのアクセスを考慮する」
「月一億PVからのアクセスは考慮しない」
言っていることは同じですが、後者の方がなんとなく余裕を感じかっこいいなーとおもってしまいます。
それは私だけでしょうかね。

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